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お釈迦さま(シッダルタ太子)が仏の悟りをひらかれるまで、どんなことがあったのか、紹介します。

母マーヤ夫人の恩をかみしめられたお釈迦さま

今から約2600年前、北インドのヒマラヤ山のふもとに、カピラ城を首都に貴族的共和国が築かれていました。
お釈迦さまは、このカピラ城の城主・浄飯王(じょうぼんのう)という王様の太子として生まれられました。
お母さんの名前は、マーヤ夫人といいます。
出産のためにマーヤ夫人が生家のクリ城に戻られる旅の途中、ルンビニー園という花園を通られた際に産気づかれ、出産されました。
ここからお釈迦様がお生まれになられた4月8日を「花祭り」と祝うようになりました。

 

生まれられて1週間後、マーヤ夫人は産後の肥立ちが悪く、帰らぬ人となってしまいました。
お釈迦様は親の恩を切々と語られた『父母恩重経』において、『臨生受苦の恩』を説かれています。
「月満ち時到れば、業風催促(ごうふうさいそく)して、偏身疼痛(へんしんとうつう)し、骨節解体(こっせつかいたい)して、神心悩乱(しんしんのうらん)し、忽然(こつぜん)として身を亡ぼす」とあります。
【いよいよ月満ちて陣痛が起こり、額にはあぶら汗が流れ、全身がバラバラになるような苦しみに耐えながら、母は子供を産む】と説かれています。
子供を産む時の苦しみは、青竹を握ると、それを二つに押し割るほど激しいといわれます。
その苦しみのあまり暴れ出すため、両手をベッドに縛りつけることさえあるそうです。
ましてや医療技術も今のように発達しておらず、麻酔もない古代のこと、マーヤ夫人のように出産で命を落とす人も少なくありませんでした。

 

出産の痛みを『陣痛』といわれます。
『陣』とは「陣地」とか「陣羽織」というように、戦場で使う言葉です
戦場は男が命のやり取りをする場所、ですが、女性にとってまさに出産は命をかける覚悟だったところから「陣痛」といわれるのです。

 

お釈迦様は衆生に向かって「お母さんが命がけで産んでくださって、今のあなたがいるのですよ。このご恩、絶対に忘れてはなりませんよ」と呼びかけておられますが、ご自分自身もこのご恩かみしめられてのご教導だったのではないでしょうか。

 

 

シッダルタ太子を見たアシダ仙人の涙

生まれられた太子は『シッダルタ太子』と名けられました。
浄飯王のとっては待望の子供、しかも跡継ぎである太子に恵まれ、その喜びはとてつもないものでした。

 

早速、当時のインドでも有名な聖者アシダ仙人を城に呼び寄せ、生後間もない太子を占わせることにしました。
アシダ仙人が太子の顔を見るや、ひざをついて涙をハラハラと流したのでした。
驚いた浄飯王が
「不吉な!太子の顔を見て泣くとどういうわけだ!!」
と激怒すると、
「いえ、王様。私は太子の身の上を嘆いて涙したのではありません。自分の不幸を嘆いて泣いたのです」
とアシダ仙人。
「この御子は大変な方です。もし王位を継承されれば、転輪王(インドでは世界を治めうる優れた王のことをいう)となられましょう。
出家されれば、無上のさとりを開かれる仏陀となられるおかたであります。
私には転輪王よりも仏陀となられるように感ぜられます。
ところが、私は余命いくばくもない老人、さとりを開かれて尊い教えを説かれるのを聞かずに逝かねばなりません。
なんと残念なことかと、思わず落涙いたしました」
と仙人は声を震わせて嘆いた、と伝えられています。

 

お釈迦様は仏教を聞けない八つの碍りを『八難』と教えられていますが、その一つ『仏前仏後の難』を思い出します。
仏の在世に遇えない難のことです。
仏の悟りを開かれ、仏教を説かれる方がこの世に現れる前に生を受け、一生を終えた人は仏教は聞けません。
また、仏の教えが正しく説かれないような時代に生を受ける人も、どんなに生きる意味を真摯に求めても、その乾いた心を潤す仏教という教えがあることを知りません。

 

私は尊敬する師に巡り遇い、正しく仏教の教えを聞かせていただけた身の幸を心より感謝せずにおれませんが、そういう方のおられる時代に生を受けることができず、仏教に何かあると気づきながらも、釈迦の真意がわからず、迷い苦しんだ人が過去どれだけあったことだろうと思います。
そしてこれから先もどれだけの人がこの法に遇えず、苦しむことだろうと思うのです。

 

いえ、世は無常。
私とていつまで聞かせていただけるかわかりません。
アシダ仙人の涙は決して他人事ではありません。

 

 

生きる意味に煩悶するシッダルタ太子

浄飯王の、シッダルタ太子への期待は、並々ならぬものがありました。
太子七歳の時、インド一番の学者であるバッダラニーを学問の師に、インド一の武芸の達人であるセンダイダイバーを武芸の師に迎え、英才教育をほどこしたのです。

 

ところがしばらくすると、二人の師匠が浄飯王に罷免を願い出ました。
太子の利発さに圧倒され、自信を喪失したと伝えられています。
いかに聡明無類であったかが、察せられます。

 

何の不自由もなく成長されたシッダルタ太子でしたが、成長されるにつれ、何か深刻に物思いにふけられるようになりました。
子供が心配な姿を見ると、親は気が気ではありません。
浄飯王は何とか太子の悩みを亡くそうと、太子が19歳の時、インド一の美女といわれたヤショダラ姫と結婚させられました。
しかし、太子の暗い表情は一向に変わりませんでした。

 

いろいろ悩みのたねを尋ねられますが、太子は一向に語ろうとはされませんでした。
子どもが憂鬱そうに帰ってくると、親は「いじめでは」と心配になりますが、太子に限っていえば、そんないじめにあうことはありません。
お腹でも痛いのではなかろうか、とも思うのですが、太子は健康そのものでありました。
お金がなくてほしいものが買えないのだろうか、というのもあたりません。
王様の子供ですから、国中のほしいものは全部手に入る立場でした。

 

健康で、お金があって、周りの人たちからも大事にされて、人もうらやむ立場が太子です。
何を悩んでいるのか、浄飯王にはさっぱりわかりません。
そこで「ひょっとしたら女性1人では足りないのではないか」と、太子のために四季の御殿を造りました。
春夏秋冬4つの御殿を作らせて、そこに500人の美女をはべらせて、太子の悩みをなくそうとされました。
しかし、太子の憂鬱は変わりませんでした。

 

『カニは自分の甲羅以上の穴は掘れない』ということわざがありますが、自分が悩んでる以上のことを他人が考えていても、自分にはわかりません。
この文章を読んでくださっている方の中にも
「なぜ苦しくても生きねばならないのか」
「なぜ生まれてきたのか」
「本当の幸せとは何なんだろう」
という、本質的な疑問に煩悶された方もあったと思います。

 

しかしこんなことは、親に言ってもわかってくれない、心配かけるだけだ、教師に言っても問題にさえしてくれない、それより勉強しろ、と言われる。
テレビも本も、この解答には黙して語らず、不問に付している。
無人の昿野に一人いるような孤独を感じられた方も多かったのではないでしょうか。

 

シッダルタ太子は誰にも本心は語らず、浄飯王から「何が不足なんだ?」と尋ねられるたびに、首を横に振られるのでした。

 

 

シッダルタ太子の三つの願い

シッダルタ太子の真実の幸福を求める気持ちは、日に日に強くなっていきました。
ある日、父・浄飯王に手をついて「城を出て、まことの幸福を求めさせて下さい」と、頼まれたのです。
驚いた浄飯王は、
「一体何が不足でそんなことを言うのか。お前の望みは何でもかなえてやろう」。
「それではお父さん、申しましょう。私の願いは三つです」
「三つの願いとは何か」
不審そうに浄飯王が聞かれると、シッタルタ太子はこう言われています。
「私の願いの一つは、いつまでも今の若さで年老いないことです」
「望みの二つは、いつも達者で病気で苦しむことのないことです」
「三つ目の願いは、死なない身になることです」
それを聞かれた浄飯王は「そんなことになれるものか。無茶なことを言うものではない」と、あきれかえって立ち去られた、といわれます。

 

【老い】と【病】と【死】。
「これだけはどうにもならない」
「考えないようにするしかない」
「なんとかしようなんて、無茶なことを考えるものではない」

 

浄飯王のみならず、みんな目を背けている問題でしょう。
ところがどんなに言葉で元気なことを言っていても
「老いるのは嫌だ、考えると憂鬱だ。さびしい」
「突然の病がこんなに幸せを踏みにじってしまうなんて。これ以上進行したくない」
「死は絶対いやだ、暗くなる、考えたくない」
と心の底は、叫びをあげています。

 

目を背けるのは解決ではない。
「臭いものにはフタ」でごまかしているにすぎないからです。
フタをしても臭ってくるものはごまかしきれません。

 

人類の幸せを脅かし、崩していくこの一大事に立ち向かわれたのが、二十九歳の二月八日、お釈迦さまの『入山学道』でありました。
これが仏教の原点です。

 

 

火の玉の如きシッダルタ太子の決心

シッダルタ太子が城を出られたのを知った浄飯王は、家来たちに命じて必死に探索を続けます。
ついに家来一行が太子の居場所がわかり、城に戻るよう、説得にかかる様子が記されていますが、身に沁みます。

 

一行は、鬱蒼(うっそう)とした路傍の大樹の下で、瞑想にふけっておられる悉達多太子を発見しました。
太子の前にひざまずき、カピラ城内の模様を詳しく語り、帰城を懇願しました。
「世に出家の動機には四通りあると聞いています。長い病苦で歓楽を満たすことができないとか、老人になって身の自由と希望を失ったとか、財物を失い生活に困窮しているとか、家族に死別して世をはかなむからだと聞いています。
しかし、太子さまの場合は、この四つともあてはまりません。
年若く、壮健な時に、家富み、家族の人々にも別に変わりはないのに、なぜ若き楽しみを捨て、一衣一鉢の姿になられ、遠きさとりを求められるのか、私たちには一向に分かりません。
どうしても太子さまの心持ちが分からないのです……」

 

涙ながらに訴える使者に、悉達多太子は、毅然として述べられました。
「お前たちには分からないのか、あの激しい無常の嵐が、まだ分からないのか。
ものはみな常住しないのだ。いずれの日にか衰え、いずれの日にか滅ぶのだ。
快楽の陰にも無常の響きがこもっているのだ。
美女の奏する弦歌は欲をもって人を惑わすのみだ。
三界は悩みのみ、猛き火の如く、浮かべる雲の如く、幻や水泡の如し。
若きを愛すれど、やがて老いと病と死のために壊れ去るのだ」
火の玉の如き太子の決心に、使者たちはどうすることもできず、涙をのんで帰城し、太子の決意を父王に伝えたといいます。

 

健康、財産、地位、妻子、才能。
すべてに恵まれておられたシッダルタ太子でしたが、やがては老い、病に侵され、確実に死んでゆかねばならぬ、はかない人生であることを知らされ、心からの安心も満足もできなかったのです。
【心底からの安心、満足とは?】
【本当の幸せとは?】
この探求一つにすべてをかけられ、シッダルタ太子は、すべてを捨てられたのでした。
『The Great Renunciation』
『偉大なる放棄』と英訳されます。

 

それにしても【仏の力で開運し、商売繁盛する加持祈祷】だの、【○○如来のご利益で恋愛成就】だの、仏教の名を借りたインチキ商売が、今日いかに氾濫していることでしょう。
お釈迦様が世の幸せをなげうってまで求められた真実があることが、何も知らされていません。
仏教の何たるか、深い教えの中身までは知らなくても、『釈迦がなぜ出家されたのか』その動機を学ばれれば、仏教とほど遠い迷妄が仏教の名を借りてはびこっている現状を嘆かわしく思われるのではないでしょうか。

 
 
 

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では、お釈迦さまは老いと病と死を超えた幸福を何と教えられたか、
そのハッキリした答えを示されているのが仏教です。

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