比叡山や高野山は禁制の山だった

その昔、最澄が開いた比叡山も、空海の開いた高野山も「排除」の山でした。
彼らのみならず、日本の仏教は奈良・平安時代を通じて、権力者の政治体制の安泰を祈るのが役目でした。
大仏で有名な東大寺は、国家を護るために時の天子が造った寺です。
奈良の興福寺も藤原家の繁栄を祈る寺でした。
比叡山の延暦寺も、京都に都を遷す際に、京の都を護るために創建されています。
いずれも支配階級である貴族のための寺であり、極楽浄土へ往けるのは、戒律を守る修行僧か、寺に財物を寄進する貴族だけ、とされていました。
肉を食べ、結婚生活する平民は、戒律を守ることはできません。
貧しくて寺に納める物もありません。
庶民は、最初から救済の対象から外れていた、いわば「排除」された存在だったのです。
そんな中にあって「それは決して真実の仏法ではない」と宣言されたのが、法然上人であり、親鸞聖人でした。
歎異抄「阿弥陀仏の救いは老少善悪の人をえらばず」とあるように、僧侶も在家の人も、老いも若きも、男も女も、貧富の差も才能の差もなく、健常者、障がい者の違いもない、全ての人がありのままの姿で救われるのが本当の仏教であることを、法然上人と親鸞聖人は敢然と明らかにされたのです。
その教えは、天台・真言などの当時の日本中の仏教界を震撼させ、やがてそれは法然・親鸞両聖人の流罪という「承元の法難」を引き起こしたのですが、天台・真言などの仏教から見捨てられていた民衆にとっては、両聖人の説かれる阿弥陀仏の本願は、どんなにこそ励まされ、勇気づけられるものであったことでしょう。

 

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