仏教に説かれる六大煩悩の一つ『慢』とは

「お前のような息子をもって恥ずかしいよ。ワシントンはお前の年には検査官になって仕事に励んでいたそうだよ」
「それでワシントンはお父さんの年には何になってたの?」
「…、うん…。大統領になっていた」
これはアメリカンジョークですが、自分のことはわからず、人の欠点やできないところばかり目につく私たちは、職場でも家庭でも、上から目線のひんしゅく発言をしてしまいます。
個人心理学の祖アドラーは、人間を根本的に動かしているのは「優越を求める心」だと言いました。
仏教ではこの「優越を求める心」を『慢』といいます。
仏教で教えられる108の煩悩の中でも、特に私たちを煩わせ、悩ませる煩悩が6つあるとして、それを六大煩悩といいます。
その一つが『慢』という煩悩です。
『慢』とは慢心の慢、うぬぼれ心のことです。
お釈迦様はこの『慢』という煩悩を七通りに分けて『七慢』を説かれていますが、このたびその中の『慢』『過慢』『慢過慢』の3つを取り上げてみたいと思います。

 

人を見下げる心「慢」

『慢』は人生のどこかで身につけたものではなく、煩悩の固まりである人間が生まれつき有しているものです。
職場の同僚に対して、酒の席なんかで、その人がその場にいないことをいいことに、その人がいかにできていないかという話で盛り上がって悦に入っている集団がありますが、見ていて気持ちいいものではありません。
たしかに言われているその人は、言われている件については、そこで笑い合っている人よりできないのかもしれませんが、それを見下げて気持ちよくなっている慢心のみにくさを見る思いがします。
分別ついた大の大人でも慢の心を律することがなかなかできないのは、このような事例が多いことからもわかります。
子供の世界でも、できない子がいればいじめの対象になりますし、江戸時代の農村でもある特定の部落を差別しました。
人種差別、迫害などどこの世でも繰り返されてきたのをみても、『慢』の恐ろしさが知らされます。
「あのことがあいつはできていない」「このことはとりわけだめだ」とできていない点ばかり査定して、人を評価する者はどこにでもいますが、 その人の長所、他の人にない才能を見出し、得意な点を評価され、伸ばしていくような人がなかなかいないのは、『慢』の心と戦って常に自戒することの難しさを証明しているようです。

 

ライバルを認めない心「過慢」
『過慢』とは、同じ程度の相手なのに自分の方が優れていると威張る心をいいます。
テストの点数が同じ80点だった、とすれば、これはうぬぼれるはずはないのですが 「本当はオレの方が上なのだ」と自惚れます。
「あいつは塾通いしてて80点。オレは塾なんて行っていなくても80点だぞ」とか「オレは昨日ゲームしてあまり勉強していなかったけど80点だった。あいつは勉強やっていたはずなのに80点、本当はオレの方が上なのだ」とうぬぼれるのです。
何かと理由を付けて、事情を引っ張ってきて、本当はオレの方ができるんだ、とうぬぼれる心、これを『過慢』といいます。

どんな人にでも自惚れる『慢過慢』

『慢過慢』とは、自分より優れている人に対してでもうぬぼれる心です。
自分80点、友達100点、となれば、うぬぼれようがないはずですが、それでも自惚れます。
どう自惚れるのでしょうか。
「あいつは確かに勉強はできるかもしれんが、がり勉じゃないか。そもそも勉強しかできん。まずスポーツができない。それに友達が少ない。まあ、人間的な魅力に乏しいということかな。その点おれはスポーツもできるし、友達も多いし。将来出世するのはオレだな」とうぬぼれています。
テストの成績では勝てないので、土俵を違うところに移すのです。
職場で男性社員から人気がある女子社員がいれば、他の女子社員が「あの娘、もてるけど・・・鼻にかけてるよね」といったりします。
「人気あるよね、もてるよね」の会話だけでは終わればいいのに、それだけでは終われない。
どちらがもてるか、という土俵では分が悪いので、違うところに土俵を移して、勝ち負けを決しようとするのです。
あなたの身近にも、あの人のこれに関してはかなわんな、という秀でたものを持っている人がおられると思います。
その人に対して、この面ではあいつはすごいけど、ああいうところができていないよな、と何かどこかにそういう思いを抱いてたりはしないでしょうか。
仏教ではそれを『慢過慢』といいます。

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