なぜ出家されたのか

親鸞聖人が出家得度されたのは9歳でした。
今でいうと小学校3年生くらいでしょう。
わずか9歳にして、出家の決意をされたのですから、よほどのことです。

 

寺に生まれ、将来僧侶になるよう周りから嘱望されてたとかいうのならわかりますが、親鸞聖人はそうではありません。
藤原家の貴族の一員として生きるよう、周りからも期待されていたのを振り切って、自らの強い意志で単身比叡山に入られています。
歌舞伎界の家に生まれ育った小学生の襲名、お披露目なんかよくニュースになりますが、あれは親や周りの一存でしょう。
私も9歳の時、ピアノ塾に通いましたが、それは母の一存でした。
母にピアノの教師の友人があったせいもあり、始まったことでした。
やめさせてほしい、と母に嘆願したのは自分の意思でした。
その理由は「嫌だったから」です。
このように小学生でも、嫌だから、好きだから、という理由で行動することはあります。
しかし親鸞聖人は「出家」が好きだから、「僧侶」がかっこよくてあこがれた、といったような、子供らしいユメを追いかけて比叡山に入られたのでもありませんでした。
「出家」とは家を出る、と書くように、世俗を離れることなので、「出家」すれば、肉も食べれなければ、結婚もできません。
娯楽もないところで、ひたすら仏教の学問修行に打ち込むのですから、「好き」という人はないでしょう。
必要に迫られて出家せよと言われても、誰でも彼でも決意できるものではありません。
親鸞聖人の出家の際のエピソードを知りますと「何が何でもここ一つ」「どうしても」という気迫が伝わってまいりますが、9歳にして親鸞聖人をそこまでせきたてたものは一体なんだったのでしょうか。
これが分からなければ、親鸞聖人のその後の生き様も、生涯通じて明らかにされた教えももうわかりませんので、今回は「親鸞聖人の出家の動機」をお話しいたします。

 

■波瀾万丈の幼少期

親鸞聖人は、今から約800年前、京都にお生まれになられました。
幼いころの名を松若丸と言い、父君を藤原有範、母君を吉光御前といいます。
ご両親の愛情に育まれた松若丸でしたが、4歳の時、お父さんを亡くされ、お母さんお一人の手で成長されることとなりました。
ところが松若丸8歳の時、その、杖とも柱とも支えにされていたお母さんがまた病のため、帰らぬ人となりました。
知る人ぞ知る、親鸞聖人はまさに『波乱万丈』という言葉がふさわしいご生涯でしたが、4歳にしてお父さんを、そして8歳の時、お母さんを亡くされるという、人生のスタートから矢継ぎ早に、親鸞聖人に大きな不幸の波が押し寄せたのです。
このブログを読まれている方の中にも、幼くして親と死別されたという方もあることでしょう。
私は幸いにもまだ両親が健在なので、幼くして親を亡くすのがどれほどに悲痛かわかるものではありませんが、大切な人を亡くした悲しみならわかります。
お釈迦様は、人間が避けられない苦しみの一つに『愛別離苦』を挙げておられます。
愛する人、大切な人と死別するその悲しみは筆舌の尽くしがたいものであり、その苦しみも一過性のものではありません。
いつまでたっても身にこたえる淋しさが癒えることはなく、ひきづってしまうものです。
特に子供にとって親の存在は、ただ大切な人、では済まないほど大きいものです。
大人なら大切なものは一つではありません。
家族、会社、お金、財産、知識、友達etc
そのどれか一つを失っても、他にもまだ支えはあります。
しかし4歳や8歳の子供にとっては、親の存在はすべてです。
釈迦様はお経の中に「母の懐を寝処となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情を生命となす」と説かれていますが、子供にとって心の支えは親であり、親を一心にたよりに生きています。
迷子になって号泣している子供の姿を見かけますが、子供というのは親の背中さえ見えれば、初めてのところだろうが、外国だろうが、キャッキャと笑っています。
ところがいったん親の姿が見えなくなってしまうと、近所のデパートであっても、とたんに不安になって泣き出してしまいます。
4歳や8歳の子供にとって親の存在は「命」なのです。
その年齢で御両親を亡くされた親鸞聖人のお気持ちは、如何ばかりだったことでしょう。
想像してあまりあるものがあります。
「お父さん、お母さんにまた会いたい」
「どこに行ってしまったんだろう」
「死んだらどこへ行くんだろう」
ご両親との死別を縁とされ、仏教を学びたいという気持ちになっていかれたのです。

 

無常を知らされたとき、菩提心が起きる

大切な人と死別したことで、人生のはかなさ、むなしさを痛切に知らされ、仏教を聞きたいと思われるようになった方は、親鸞聖人だけではありません。
私の講座に来られる方の中にも、連れ合いを亡くされた方、子供を亡くされた方、などおられます。
子供を亡くした時に
「あの子の人生は何だったんだろう」
「あの子はどこへ行ったんだろう」
と頭から離れなくなります。
あるいは親を亡くした時、その人生を振り返って
「苦労ばかりしてきて、最後病気で苦しんで死んでいった。お母さんの人生は何だったんだろう」
と思いをはせるものです。
ふだんなら上司の評価や通帳の残高に神経をとがらせ、ノルマや納期に忙しい忙しいと駆けずり回っている私たちですが、肉身の死、大切な人の死、に直面するや否や、頭の中が真っ白になり、一切の生活の運行が停止してしまったかのような驚きを覚えます。
『朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり』
朝には赤ら顔で「行ってきます」と家を出たのに、その夕べには血の気のない、青白い顔で対面する。
やがて火葬されれば一つまみの白骨だけになる。
これがすべての人間の偽らざる姿です。
その人間の実相を目の当たりにすると、自分の生き様を静かに振り返るようになり、そこから聞法心がおきます。
『無常を観ずるは菩提心の一なり』と仏教ではそれを説かれます。

 

親鸞聖人が出家の時に詠まれた歌とは

「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
お父さんを4歳で、お母さんを8歳で亡くされ、世の無常を痛切に知らされた親鸞聖人は「次は自分の番だ、死んだらどうなるんだろう」と仏門に入られました。
私たちも「生まれたからには必ず死なねばならない」と分別はついています。
死ぬときにはため込んだお金も全部置いていかねばならない。
地位も名誉も力にならないと重々承知してはいますが、仏門に入って真の安心を得ようと志す人はありません。
「今日は死なない、明日がある」の思いはもう抜けないのです。
抜けないどころか「まさか今日死ぬはずなかろうが。おおげさな」と一笑に付し、「まだまだ死なない」とカンカンに信じ込んでいます。
事故災害、事件を報ずる世のニュースが、毎回「これでも気づかぬか」と無常(死)の実態を見せてくれています。
しかしどんな無常の嵐もどこ吹く風で、「まだまだ死なない」と平然とし、親が死んでみせても、子供が死んでみせても、連れ合いが死んでみせても「自分は大丈夫」と思いこみ、相も変わらず、金だ、名誉だ、と目の色変えています。
「いつかは死ぬ」とうなづいていますが「今日は死なない、明日がある」との思いは揺るぎません。
その腹底の心こそが本心です。
もし「明日がある」が正しいならば、この世で死ぬ人は1人もいなくなります。
交通事故で亡くなった人が昨日も数人ありました。
それらの人たちは、私たちと同じで「今日は死なない、明日がある」と思いこんでいた人たちです。
その人たちに明日はなかったのです。
私たちも「明日はある」と信じ込んでいますが、いつか裏切られる日を迎えます。
人は信じているものに裏切られた時、大変な苦を受けますが、「明日がある」の信心が破られ、夢覚めた時の絶望はいかばかりでしょうか。
「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
これは全人類の迷信をぶち破られた聖人のお歌です。

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